2012年11月27日

第19回 平忠常(平忠常の乱)

019-1

「殿。」


「どうした。」


「国司の平惟忠殿より税を納めよと再三にわたり書状が来ております。」


「無視しろ。」



酒を飲みながら忠常は、吐き捨てるように言った。


平高望の四男良文は下総国相馬郡を本拠にし、子の忠頼、孫の忠常の三代に渡り関東で勢力を伸ばしていた。



忠常は上総国、下総国、常陸国に父祖以来の広大な荘園を有し、傍若無人に振る舞い、国司の命に服さず納税の義務も果たさないでいた。







1028(長元元)年6月、忠常は安房守であった平惟忠を焼き殺すという事件を起こした。


更に忠常は、上総国の国衙をも占領する。


これを知った上総国の国人たちは忠常に加担して、反乱は房総三カ国(上総国、下総国、安房国)にまで広まった。


当時、在地豪族はたびたび国衙に反抗的な行動をとっていたが、中央の有力貴族との私的な関係を通じて不問にされることも多く、実際に追討宣旨が下されることは稀だった。


忠常も、若い頃に京に上り、摂関家の藤原教通に仕えていた時期があった。



「大丈夫、大丈夫じゃ。わしの後ろには関白藤原頼通さまのご舎弟教通さまがついているんじゃ。役人どもも何もできんぞ。」



しかし、教通の兄頼通の下には常陸平氏の平直方がいた。


平直方は、しばしば平忠常と常陸国内の所領問題で争いを起こしていた。


そこで直方は、忠常の文を教通に届かないよう画策し、頼通に頼んで、忠常追討の命令を引き出し、自ら追討使になった。


こうして平直方は、国家公認のもと、平忠常ら良文流平氏を排除する立場を得ることに成功する。


更に翌年には、直方の父維時が上総介に任命され追討の動きも本格化する。


国家から謀叛人扱いされた忠常は、徹底抗戦を余儀なくされる。


019-2直方は持久戦で忠常軍を追い詰めるが、朝廷は直方の戦法を手ぬるいと判断し、過去に平忠常を家人としたことのある源頼信(頼光の弟)を甲斐守に任じて討伐を命じた。


直方の持久戦で疲弊していた忠常は、源頼信の名を聞くやすみやかに降伏した。


源頼信は、前出の源満仲の三男になる。


長男の頼光が摂津の所領を引き継ぎ、次男頼親は三度国司となった大和を中心に開発したことにより大和源氏と呼ばれ、頼信自身は河内国古市郡壷井を開発したため、この系統は河内源氏と呼ばれることになる。


源頼信は、平忠常を討ったことにより、関東に地盤を築くことに成功する。


これは、長兄の頼光が京を中心に勢力を拡大していたことと対立するのを避けるため、敢えて本拠地を坂東に移したと考えられる。


ちなみにこの時代、武勇に優れていた源頼信は、平維衡・平致頼・藤原保昌と共に「道長四天王」と呼ばれていた。


頼信の子の頼義は、父の配下として平忠常討伐軍に加わった。


討伐後は、父頼信と共に坂東武者たちと主従関係を結び、頼義自らも平直方の娘を娶り、鎌倉にあった直方の屋敷を譲り受けた。


これが後の鎌倉幕府(鎌倉殿)に通じる。

 



平忠常の乱と同時期に、平貞盛の四男の維衡(道長四天王の一人)は、下野守として在任中、伊勢国で又従兄弟の平致頼(良兼の子の公雅の子であり、こちらも道長四天王の一人))と荘園開発を巡り私闘を繰り広げていた。


貞盛の遺領は嫡男の平維将が引き継いでおり、四男の維衡は自ら荘園を開発しなければならなかった。


坂東の地では、既に多くの平氏一門が開発しており、また維衡は又従兄弟の平致頼と共に、京では「天下之一物」と勇猛さが評されており、京に近いところに所領が欲しかった。


そこで目を付けたのが、伊勢であった。


畿内では有力貴族や寺社が初期荘園を開発済みであり、新たに開発する場所を見つけるのは難しかった。


それに対して伊勢は、伊勢神宮領としての神郡と呼ばれる中には、未開発部分が多くあった。


そこに維衡と致頼は目を付けたのである。



「致頼、神郡に目を付けたのは、我が先ぞ。」


「何を言う維衡。わしの方が先じゃ。さっさと退け!!」



二人は、神郡の中で争い続けた。


争いは私戦であったため、当初朝廷は介入しなかったが、伊勢神宮の存在は朝廷にとっては別格であった。


このことから、その神郡内で争い続けることは由々しき問題として、二人に京への召還命令が下された。


維衡は罪科を認めたために一旦淡路国に流された後許されて、各地の国司を歴任した。


致頼は私戦と言い張り罪科を認めなかったために、隠岐に流され暫くは許されることは無かった。


この神郡を巡る争いは、両者の子である正輔と致経の代まで続いて、結果として維衡の系統が勝利し、伊勢平氏と呼ばれる門閥を作ることになる。



sunwu at 15:17│Comments(0)TrackBack(0) 摂関政治時代 

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