2012年11月10日

第1回 蘇我入鹿(乙巳の変)


001-1「わっ、私に何の罪があるというのですか。もっ、もし、私に罪があるというのなら、正々堂々裁判でお裁き下さい。」



頭と肩、足を切りつけられて血まみれの入鹿は、必死の形相で京極天皇に迫った。


京極天皇は、入鹿を切りつけた中大兄皇子に対して、目で理由を求めた。



「入鹿は我ら皇族を滅ぼして、皇位を簒奪しようとした罪によって処刑するまでのこと。」



中大兄皇子は、視線を入鹿から離さずにサラリと言い放った。


京極天皇は、入鹿の視線から逃れるように、玉座から降りて、宮中の中に入って行った。


残された入鹿は、最後の力を振り絞って振り向き、中大兄皇子に飛びかかろうとした。


しかし、その前に皇子の側近である佐伯子麻呂と葛城稚犬養網田が入鹿にとどめを刺した。

 






南淵請安は、
608年に遣隋使に従って隋に渡り、隋の滅亡から唐の興隆までを見て、640年に倭に帰国した。


帰国すると、南淵請安は私塾を開いて、皇族や豪族の子弟に学問を教えた。


この南淵請安門下で秀才と名高かったのが、蘇我入鹿と中臣鎌足であった。


二人は机を並べて、共に南淵請安が持ち帰った儒学を学び、世の趨勢を議論した。



「先生は、唐がこの倭に攻め込んでくるとお考えのようだが、本当であろうか。」



鎌足が入鹿に問うた。



「本当かどうかはわからぬが、父は本当と考えているらしい。」


「蝦夷殿がか。」


「父だけでなく、朝鮮半島諸国も同じ考えのようです。先日、朝貢に来た使節たちは、こぞって援軍を出してほしいと訴えていたと父が申しておりました。」


「なるほど。となると、わが国は、朝鮮半島に援兵を出すことになるということですか。」


「父はそのつもりのようです。そのために、最近は武具を集めているようですから。」


「先生のお言葉で言えば、『唇亡びて歯寒し』ですね。」


「真に。」



このような話を、いつも入鹿と鎌足は私塾でしていた。


だから
644年に、中臣氏の家業であった祭官に就くことを求められたが、鎌足は固辞して摂津国三島の別邸に退いた。


鎌足は、入鹿と同様、唐の侵略を防ぐ方法を探っていたからである。


しかし、鎌足の家は神祇官としては名門ではあるが、太政官としては無名であった。


そこで、自らの考えを具体化させるためには、大きな後ろ盾になるべき政治家が必要であった。


最初に鎌足が目を付けたのは軽皇子であったが、凡庸であったために鎌足自身が担ぐには不足であった。


次に目を付けたのが、同じ南淵請安の塾に通っていた中大兄皇子であった。


001-2中大兄皇子も、南淵請安の教えを受けて鎌足たちと同じような考えでいたことから、直ぐに二人は意気投合した。



「それで鎌足には、具体的な策があるのか?」



中大兄皇子が鎌足に聞く。



「はい、倭の国体を中央集権国家に改めるのです。」


「確かに、中央集権国家にできれば、倭も今以上に強くなるだろう。しかし、楚の呉起、秦の商鞅の例を見ても、簡単には行かぬぞ。」


「倭のため、私の屍の上に中央集権国家になり、唐と対等に戦えるようになるなら、殺されても悔いはありません。」


「そうか、ではオレも、腹を括ろう。」



こうして二人の暗躍は始まったのである。

 




ところが、最初から中大兄皇子と鎌足の考えはぶつかった。



「蘇我一族を滅ぼす。」



と中大兄皇子が言ったからである。



「何故、蘇我氏を滅ぼす必要があるのですか。彼らは、現在の状況を憂い、必死に対策を考えているではありませんか。」


「良く考えてみよ、鎌足。中央集権国家を作るのに、一番の問題は蘇我一族だ。蘇我一族の持つ田や民は、皇室のものに匹敵する。それを簡単に手放すと思うか!?」


「確かにそうですが・・・。しかし今は、国内で争うのではなく、共に外敵に備えるべき時かと思います。」


「鎌足、甘いぞ!!高句麗では、大臣と王が対立した末に、対唐強硬派である淵蓋蘇文がクーデターを起こし、融和派である栄留王を殺し、宝蔵王を擁立したのだぞ。」


「はい。」


「この倭で、同じことが起きないと言い切れるか!?」


「それは・・・・。」


「先生がおっしゃっていたではないか!!非情にならねば、強国には成り得ぬと。」



南淵請安の下で、史記や儒家、兵家の書物を読み耽っていた鎌足には、中大兄皇子の言い分が十二分に理解できた。


しかし、それでも、親友の入鹿を殺すようなことは考えられなかった。



「入鹿殿と言葉を交えれば、皇子もお考えが変わりましょう。」


「鎌足、入鹿がどれ程有能で、どれ程我が皇室、我が国のことを思ってくれているか、オレも知っている。それでも、蘇我氏は滅ぼさねばならんのだ。わかるだろ。蘇我氏の存在が、中央集権国家への変革を邪魔する一番の壁であることを。」



これ以上、鎌足は言葉が出なかった。


中大兄皇子の目に溢れている涙を見たからである。


中大兄皇子も、できれば入鹿を殺したくないと考えているのがわかったからである。



「わかりました。私も非情になります。しかし、皇子のお言葉ですが、蘇我一族を滅ぼすのは不可能です。皇室に匹敵する族なのですから、その与党を考えれば、成功する確率が極端に低くなります。」


「ならばどうする??」


「蘇我一族を割りましょう。蘇我宗家のみを滅ぼすんです。そして他の蘇我一族を取り立てる。そうすれば、蘇我一族の与党全てを敵に回さずに済む。」


「うむ、確かに。しかし、味方してくれそうな蘇我一族に、心当たりはあるのか??」


「はい、一人だけ・・・。」

 


鎌足が目を付けていたのは、入鹿の従兄弟である蘇我倉山田石川麻呂である。


入鹿の話の中で、勤皇精神が厚い人物だと聞いていたからである。


石川麻呂は、中臣鎌足に計画を打ち明けられて、当然の如く驚いた。



「貴殿が驚かれるのも無理はない。しかし、既に皇子は決心されている。貴殿が入鹿殿に着けば蘇我氏は族滅の憂き目にあうが、皇子に着けば蘇我氏は貴殿が引き継ぐことになる。」



恐怖で顔が引きつっている石川麻呂に、鎌足が更にたたみ掛ける。



「今が生死の分かれ目ですぞ!!」



石川麻呂は声も出ず、ただ首を縦に振ることしかできなかった。


石川麻呂が縦に振ったことにより、陰謀の成功は半ば成ったと言えると
同時に、蘇我一族が族滅の危機から免れたのであった。

 






そして、暗殺を実行するに際して、中大兄皇子は部下の中から屈強の者二人を選んだ。


それが佐伯子麻呂と葛城稚犬養網田であった。


しかし、この二人も、皇子より暗殺を聞かされた後は、恐怖心から飯に水をかけて飲み込むが、たちまち吐き出すありさまだった。

 




そしていよいよ決行の時が来た。


中大兄皇子が暗殺の舞台に選んだのは、三国の調の儀式(朝鮮三国から倭国に対する朝貢を受け取る儀式)が行われる日であった。


それは、
645612日と記録されている。


入鹿は用心深く日夜剣を手放さない性格だったが、帯剣が非礼に当たると言われて、入場するに際して剣を外させられていた。


中大兄皇子は衛門府に命じて宮門を閉じさせた。


危急を聞きつけて入鹿の与党に踏み込まれるのを避けるためであった。


そして、予定通り石川麻呂が上表文を読みあげはじめた。


中大兄皇子は長槍を持って殿側に隠れ、鎌足は弓矢を取って潜んだ。


佐伯子麻呂と葛城稚犬養網田も、剣を持って潜んだ。


しかし、石川麻呂が表文を読み進めても、恐れ慄いている子麻呂らは現れない。


石川麻呂にもその感情が伝わり、恐怖のあまり全身汗にまみれ、声が乱れ、手が震えた。


それを見て入鹿は不審に思った。



「石川麻呂殿、なぜ震えるのか。」


「天皇のお近くが恐れ多く、汗が出るのです」



と石川麻呂は咄嗟に答えた。


中大兄皇子は子麻呂らが入鹿の威を恐れて進み出られないのだと判断し、自らおどり出た。


それを見た子麻呂らも、遅れてならじと飛び出して、入鹿の頭と肩を斬りつけたのだった。


入鹿は殺され、その死体は庭に投げ出され、障子で覆いをかけられた。

 



入鹿を殺すことに成功した子麻呂たちは、虚無感に襲われたが、中大兄皇子の声によって再び我に戻った。


中大兄皇子は予定通り法興寺へ入り戦備を固め、諸皇子、諸豪族に味方に着くよう触れを出した。


ところが、帰化人の漢直の一族は蘇我宗家に味方しようと蝦夷の舘に集まったが、中大兄皇子が入鹿の側近だった巨勢徳陀を派遣して説得して当たらせた。


その甲斐あって、漢直の一族も中大兄皇子側に着いたので、蘇我宗家の軍衆はみな逃げ散ってしまった。


613日、父蝦夷は不利を悟って舘に火を放ち「天皇記」、「国記」、その他の珍宝を焼いて自殺した。


こうして長年にわたり強盛を誇った蘇我宗家は滅びたのであった。

 



sunwu at 22:04│Comments(0)TrackBack(0) 天皇親政時代 

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