2012年11月12日

第4回 天武天皇(壬申の乱)

004-1「朕は、新たに天下を平けて、初めて即位ものである。」


と天武天皇は宣言した。


天武天皇は壬申の乱によって混乱した倭国を再生し、天智天皇の後継者というより、新しい王統の創始者として自らを位置づけようとしたのである。


というのも、白村江の戦い以後、天智天皇は豪族や民に重税を課し、大きな反発を招いていた。


つまり、天智天皇の人気は地に落ちていたのである。


天智天皇の後継者を称すると、その不人気も受け継ぐこととなるため、敢えて天武天皇は新たな王朝の創始者を名乗り、天智天皇を否定することにした。


この考えを具現化するため、壬申の乱後は近江京には行かず、飛鳥の地に戻ったのである。


また、壬申の乱で天武天皇を助けたのは、中央豪族ではなく、地方豪族を中心とした勢力であった。


これにより、天武天皇は中央豪族に気兼ねなく政治が行えるようになったのである。


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sunwu at 09:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0)天皇親政時代 

2012年11月11日

第3回 天智天皇(白村江の戦い)

003-2

「お前は私をたばかったのか!!」



激しい怒りが、百済王余豊璋の頭を突き抜けた。



「私が陛下を倭よりお迎えしたのですぞ。そのようなことをする訳が無いではないですか。」



余豊璋の片腕として仕えていた鬼室福信が言い返す。



「世を傀儡にするために呼び寄せただけであろう。全ては調査済みだ。」



と言うなり、余豊璋は福信を捕えさせた。



「これは罠だ。このようなことをして得をするのは、唐と新羅ですぞ!!」



もはや福信の叫びは余豊璋に届かなかった。


そして、余豊璋は福信の掌を穿って革紐で縛った。


それから見せしめとして諸臣の目の前に福信を引きづり出し、斬るべきかどうかと問うた。


そこで徳執得は言った。



「これは悪逆人であるから放しおくわけにはいかない。」



この言葉を聞き、福信はカッとなって執得に唾して罵った。



「おまえか!!王にあらぬことを吹き込んだ間諜は!!」



余豊璋は福信の言葉を聞き捨て、福信を斬らせ、その首を塩漬けにした。


これが
6636月のことである。



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sunwu at 21:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0)天皇親政時代 

2012年11月10日

第2回 中大兄皇子(大化の改新)

002-3 

蘇我宗家が滅んだ613日。


中大兄皇子は、阿倍内麻呂を密かに呼び出した。


同席しているのは、蘇我倉山田石川麻呂と中臣鎌足であった。



「内麻呂殿には、左大臣という役職に就いて貰いたい。」



中大兄皇子が唐突に申し出る。



「左大臣??」



聞いたことの無い職名に、内麻呂が戸惑う。



「今回、蘇我宗家を滅ぼしたのは、全ては唐の侵略に対抗するためです。」



中大兄皇子は、唐の脅威と、これまでの経緯、それと今後の展望を語った。



「全ての土地、民を天皇の下に置くと言うのは・・・・。」



内麻呂は戸惑いを見せた。


普通に考えれば、豪族たちが猛反発するのは明らかだからである。



「内麻呂さま。」



鎌足が言う。



「中華では、楚の悼王の下で同じことを目指した呉起は、悼王の死後、皇族、貴族たちに殺されました。秦の孝公の下で同じことを目指した商鞅は、孝公の死後、皇族、貴族たちに殺されました。ただ、違うのは、楚は改革を元に戻したのに対して、秦はその改革を続けたのでございます。そして秦は、始皇帝によって中華を統一したのです。」


「今、我々がやらねば、必ず倭は、唐に敗れる。唐に勝つためには、この改革が必要なのだ。」

中大兄皇子は、熱く語った。


「わかりました。引き受けましょう。」


「おお引き受けてくれるか、有難い!!」



ここまで中大兄皇子たちが内麻呂にこだわったのは、新政権の人事が、豪族や民の心を安定させるからである。


彼らは今、新政権がどのような政治を行うか疑心暗鬼になっている。


だから、新政権の人事を通して、その政権の将来を予測するのである。


そのためには、豪族たちから信望のある内麻呂を中枢に据えるのは、是が非にでも必要なことであった。

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sunwu at 22:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0)天皇親政時代 

第1回 蘇我入鹿(乙巳の変)


001-1「わっ、私に何の罪があるというのですか。もっ、もし、私に罪があるというのなら、正々堂々裁判でお裁き下さい。」



頭と肩、足を切りつけられて血まみれの入鹿は、必死の形相で京極天皇に迫った。


京極天皇は、入鹿を切りつけた中大兄皇子に対して、目で理由を求めた。



「入鹿は我ら皇族を滅ぼして、皇位を簒奪しようとした罪によって処刑するまでのこと。」



中大兄皇子は、視線を入鹿から離さずにサラリと言い放った。


京極天皇は、入鹿の視線から逃れるように、玉座から降りて、宮中の中に入って行った。


残された入鹿は、最後の力を振り絞って振り向き、中大兄皇子に飛びかかろうとした。


しかし、その前に皇子の側近である佐伯子麻呂と葛城稚犬養網田が入鹿にとどめを刺した。

 

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sunwu at 22:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0)天皇親政時代 
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